ケニアでの経営指導会
堀口敬の海外活動

チュニジア (2010〜2012)
JICA専門家として、チュニジアの経営指導員育成のため現地企業12社に96回の経営指導。チュニジアは75年間のフランスの植民地支配後に独立、その後のベン・アリ政権はフランスの支援で独裁政治を行う。しかし滞在中の2010年12月に革命が起き、指導していた企業の1社は焼失した。

グアテマラ (2010)
JICA専門家として、標高1500mのグアテマラシティから標高2300mのケツァルテナンゴまで、高山病に悩みながら現地企業14社を診断。グアテマラは300年間スペインの植民地だったので、企業のほとんどはスペイン人が経営者で先住民は労働者。帰国前日にパカヤ山が噴火し空港が閉鎖。火山灰が10p積もった道を4WD車で隣国エルサルバドルまで走り、必死の思いで帰国。

ケニア (2006〜2010)
JICA専門家としてケニア企業を経営診断(報告書)。ケニアでは70年間の英国植民地時代に英国人がインド人を使って間接統治。独立後に英国人が帰国すると、ほとんどの企業ではインド人が経営者になった。そのため、ケニア政府とインド人経営者の軋轢が強く、役人は企業の実情を把握していない。そんな状況を打開するため、ケニア政府の依頼で5年間、東はインド洋岸のモンバサ市から西はビクトリア湖畔のキスム市まで、現地企業103社を訪問して経営診断。私の人生の中で最も濃密な5年間だった。

ウズベキスタン (2006〜2007)
EBRD(欧州復興開発銀行)の専門家として、タシケントの現地菓子メーカーに改善指導。戦後、ウズベキスタンには日本人捕虜2万人が送られたが、戦時中には「17万人の朝鮮人(高麗人)」が極東から中央アジアに強制移住。工場では多くの朝鮮人の末裔に出会った。タシケント市内では多くの警官が立ち、2005年のカリモフ大統領下での「デモ隊への発砲事件」の影響がまだ色濃く残っていた。

アゼルバイジャン (2005)
ROTOBOの専門家として、ロシア国境に近いハチマズ県の缶詰メーカーで原価管理指導を行った。第1通訳が私の英語をロシア語に、第2通訳がロシア語をアゼルバイジャン語にという「2重通訳」(もちろん返事も2重通訳)。アゼルバイジャンは170年間、ロシア帝国とソ連の支配下だったので、ロシアへの反発はかなり強く、独立後はロシア語をほとんど使わない(本当は話せても)。

タイ (2003〜2004)
AOTS(海外産業人材育成協会)の専門家として「現地企業への診断実習」と「玩具を分解しての原価計算実習」でタイ人の中小企業診断士を養成した。タイの受講者たちはやる気満々で、2004年当時の日本の労働生産性はタイの3.8倍だったが、現在は2.4倍に縮まっている。

タイ (1995〜2001)
サラリーマン時代は、リバースエンジニアリングや新製品のコストの作り込みなどの原価企画活動を行っていた。同時に1995年に完成したタイ工場の現地調達率を上げるため、単身で現地企業60社へ企業診断と現場改善指導を行った。このときに身に付けたスキルが2001年の起業につながった。

「社員の意識改革」が生産性を上げる唯一の道
10年間の海外企業145社への経営指導で痛感したのは、発展途上国の生産性を阻んでいるのは技術力ではなく、長く根付いた「階層意識」ということ。長期間の植民地支配が生んだ「支配者(経営者)対 被支配者(労働者)」という階層意識が「自発的な改善活動」を押さえつけていた。ノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル氏も「社会を動かすのは技術ではなく階層構造」と断じている。
この構造は今の日本も同じ。帰国後に指導した国内の中小製造業252社では、多くの若手社員が「指示待ち社員」という名の被支配者層に安住していた。この状況を打破するには、若手社員が自律性を取り戻し「会社を利用して自分の価値を上げる」といった気概を持つしかない。


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