ケニアでの5年間の経営診断(103社)と各地での経営指導会
堀口敬の海外活動
10年にわたる発展途上6か国、145社への経営指導の結果、生産性の低迷は「技術不足」ではなく「国民の意識構造」だと感じました。植民地支配が生んだ「経営者(支配者)対 労働者(被支配者)」という二層構造が、独立後も続く「生産性停滞」の原因です。実は日本の生産性低迷の原因も同じで、多くの企業で「指示待ち社員という形の被支配者」を見ます。

チュニジア (2010〜2012)
JICA(国際協力機構)の専門家として、チュニジア人の経営指導員育成のため、指導員候補を連れて現地企業12社に96回の経営指導を行いました。チュニジアは75年間のフランス植民地支配後に独立し、その後のベン・アリ政権はフランスからの支援のもとで独裁体制を敷いていました。しかし、私が滞在中の2010年12月に革命が起きて大統領は国外逃亡。その結果、デモは全土に広まり、指導していた企業の1社も焼失しました。そんな中でも2011年の東日本大震災時は、多くの指導員候補から「お前の国は大丈夫か?」という温かい言葉をもらいました。

グアテマラ (2010)
JICA(国際協力機構)の専門家として、グアテマラ国の生産性向上のため、標高1500mのグアテマラシティから標高2300mのケツァルテナンゴまで、高山病に悩みながら現地企業14社に企業診断と講演を行いました。グアテマラは300年間スペインの植民地だったので、診断した企業のほとんどはスペイン人が経営者で先住民は労働者でした。植民地化のダメージは、独立後200年経っても、回復していないようです。帰国前日にグアテマラシティから30qのパカヤ山が噴火して空港が閉鎖。火山灰が10p積もった道を4WD車で隣国エルサルバドルの空港まで走り、やっとの思いで帰国しました。

ケニア (2006〜2010)
JICA(国際協力機構)の専門家として、ケニア企業の実態把握のためケニア企業103社への経営診断を行いましたケニアでは70年間の英国の植民地時代に英国人がインド人を使って間接統治を行いました。その後、ケニアが独立して英国人が帰国後は、主要企業のほとんどではインド人が経営者になりました。そのため、ケニア政府とインド人との軋轢は非常に強く、政府の役人が企業を訪問することはなく、自国企業の実情はほとんど把握していません。そんな状況を打開するため、ケニア政府の依頼で5年間にわたって、東はインド洋岸のモンバサ市から西はビクトリア湖畔のキスム市まで、現地企業103社を訪問して経営診断を行いました。滞在中の2007年には大統領選挙をめぐる暴動で1000人以上の死者が出ましたが、私の人生の中で最も濃密な5年間でした。

ウズベキスタン (2006〜2007)
EBRD(欧州復興開発銀行)の専門家として、タシケントの現地菓子工場で現場改善指導を行いました。戦後、ウズベキスタンには日本人捕虜2万人が送られただけでなく、戦時中には「17万人の朝鮮人(高麗人)」が極東から中央アジアに強制移住させられました。そのため、工場では多くの朝鮮人の末裔に出会いました。また、タシケント市内では交差点には必ず警官が立ち、2005年のカリモフ大統領下で「デモ隊への発砲で数百人が死亡した事件」の緊張感がまだ色濃く残っていました。

アゼルバイジャン (2005)
ROTOBOの専門家として、ロシア国境に近いハチマズ県の缶詰工場で原価管理指導を行いました。第1通訳が私の英語をロシア語に、第2通訳がロシア語をアゼルバイジャン語にという「2重通訳」でした(もちろん返事も2重通訳)。アゼルバイジャンは170年間、ロシア帝国とソ連の支配下だったので、ロシアへの反発はかなり強く、独立後はロシア語をほとんど使っていません(本当は話せても)。

タイ (2003〜2004)
AOTS(海外産業人材育成協会)の専門家として「現地企業への診断実習玩具を分解しながらの原価計算実習」を行い、タイ人の中小企業診断士を養成。タイの受講者たちは、やる気満々で私のノウハウを吸収していました。同時期に日本国内でも中小企業診断士を養成していましたが、受講者の意欲には大きな差があるように感じました。ちなみに2004年当時の日本の労働生産性はタイの3.8倍でしたが、現在は2.4倍に縮まって来ています。

タイ (1995〜2001)
起業前のサラリーマン時代は、1995年に完成した沖電気タイ工場(プリンタ生産)の「部品の現地調達率」を上げるため、単身で現地企業60社へ企業診断と現場改善指導を行いました。このときに身に付けた「実務経験に裏づけられたスキル」が2001年の起業につながりました。(写真の後列左から3人目が堀口)

海外活動写真集
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